国際会議事務局やドイツの日本大使館で働くなど、多彩な経験を積んできた山本有華(ゆうか)さん。2022年、ご夫妻で大洲に移住し現在、地域おこし協力隊員として農業振興に務めながら農家民宿オープンを目指しています。大洲カンパニー農業部農泊課の山本さんに話を聞きました。
ーー開業準備が進む宿はとても気持ちのいい場所にありますね。
ここは柳沢と呼ばれる山奥の集落で、江戸時代は「柿の木村」と呼ばれていたみたいです。いろんなものを貸し借りしながら助け合って生きてきた当時の文化が今も残っています。鮎がとれたらみんなで集まって焼いて食べたりするんですよ。みなさん、すごくやさしくて私が思い描いていた理想の暮らしにたまたま出会えました。
ーー建物との出会いは?
民宿をするなら古民家で、と決めていました。柳沢地区の行事に積極的に顔を出して、やりたいことや自分たちの思いと一緒に「古民家を探しています」といろんな人に伝えていました。山奥にポツンと建つ、この古民家でも何でもない空き家を紹介された時、夫が目の前に広がる谷の風景を気に入って。「家はいくらでもなおせるけれど景色はお金で買えないよ」と背中を押してくれました。
ーー大洲に移住した理由は。
ドイツ・ベルリンで暮らしていた時、コロナ対策で経済が完全にストップするロックダウンを目の当たりにしました。ドイツと都市部の生活に限界を感じ、地方移住を考えはじめた頃、Uターンして愛媛・松山で暮らす両親に相談したら「人が穏やか、のんびりなので南予が合ってるよ」とアドバイスされて、愛媛県南部の南予エリアで移住先を探しました。その中で大洲に決めたのは、めぐり合わせです。
ーー移住する前はドイツで暮らしていたのですね!
語学が好きだったのと、好きなドイツ人のダンサーの母語を理解できるようになりたくて、大学でドイツ語を専攻しました。卒業後は国内の航空会社、国際会議事務局で働いた後、ドイツに渡り、通訳と現地コーディネーターの仕事も1年経験しましたが、海外暮らしは金銭面を含めていろいろとハードルが高く、日本に戻ってからは東京と神奈川のオーガニックスーパーで務めました。
いろんな職を経験する間も、中学生からの夢だった大使館勤務を目指していました。ようやく試験に合格したのは34歳のとき。在ドイツ日本大使館務めの2年間はベルリンで生活しました。大使館勤めはまるで夢のような毎日でした。外務省への登用チャンスもあったのですが、コロナ禍で考え方や暮らしが変わり、地方移住へと気持ちが向かっていったんです。
ーー大洲に移住後は地域おこし協力隊員として活動されています。
移住先ではまず地域おこし協力隊員になろうと考えていました。地域になじむまでの猶予期間が必要だったし、農業をやりたかったので協力隊の3年間が助走期間になると思って2022年、移住と同時に農林振興課の協力隊員になりました。
ーー農家を志していたのですね。
食を大事にしていた両親の影響もありますし、食や農業にもともと興味もありました。ドイツに渡る前の33歳の時、神奈川・湘南エリアで1年暮らし、いろんな農家さんに出会ったことも大きいです。決め手になったのは、異国での非常事態の中、何もできない自分が無力に思えたことです。ドイツ語をかろうじてしゃべれるような人間が生きていくには“食べ物、ものづくりができないと生きていけない”と、その時は本気で思ったんです。
農業をするために協力隊になったのですが、実際に農業を知ると、技術的なことだけではなく経営力も身につけなくてはならず、あまりのマルチタスクぶりに「自分には無理だ」と断念しました。
ーーではなぜ農家民宿をやろうと。
それでも農との接点のあることを始めたいと思ったのが農家民宿です。ドイツにいた時、ドイツやイタリア、オーストリアの農家民宿をめぐっていました。特別な何かをするというのではなく、とてもゆるくていすに座ってのんびりするだけ、みたいな。「いつかはこういう暮らしがしたいな」と夫婦で話していたので、実現がかなり前倒しになった感じです。
ーーどんな宿にしたいですか?
ただ、いろんな体験を詰め込むのではなく、暮らすようにゆったり過ごしてほしいです。ご飯を一緒に作ったり、縁側で本を読んだり、ぼ〜っと過ごしたりしながら、ただただ心身を休めてほしいです。
ーーなぜ”休む”ことにこだわるのでしょう。
ドイツ人の生き方をリスペクトしています。ドイツ人は「いかに休みをとるか」が暮らしの優先事項です。 2年間でその感覚が身に染みてしまって、今では1年に2回ぐらい、2週間ほど休まないとダメな体になってしまいました(笑)。その習慣をゲストのみなさんにもお渡しできたらいいな。
ーー大洲カンパニー・農泊課で先日、かまどを復活させるワークショップを開かれましたね。
大洲カンパニーで参加者を募って、昔の炊事場に眠っていたかまどを見晴らしのよい場所に移すイベントを開きました。作業が終わったら、地域の人におすそ分けしてもらった新米をおむすびにしてみんなでいただきました。
このイベントがあることを地域の人に話したら、「この野菜持ってって」「この漬物も持ってって」と、たくさんもらいものをしたんです。この日に調理したり、持ち帰ってもらったりして、地域の恵みや思いやりを分かち合えたことが本当にうれしかったです。
ーー今後農泊課でやりたいことは?
大寒の日に、味噌づくりのワークショップをしたいですね。お隣さんが、わたしたちが理想とする自給自足の暮らしをしていて、お米だけでなく、小麦やそば、大豆も自給しているんです。その大豆を、大寒に汲んだ柳沢の冷たい山水で焚いて、お味噌を作りたい!ほかにも食と農に関わることを、参加者と一緒に手を動かして、現代の生活から消えそうになっている山の暮らしを少しでも後世に残していけたらと思っています。
ーー大洲カンパニーについて思うことは。
まちや人と、ガッツリもゆるくも関われるのが魅力だと感じています。私自身、移住の相談に乗っていますが、なんとなく大洲に来た人も明確に大洲を選んできた人もいます。人も暮らし方もそれぞれです。いろんな人がいるけれどそれをゆるやかにつなぐツールに可能性とニーズを感じます。
私も今はガッツリ、メンバーとして関わっていますが、長い人生、いろんなフェーズがあると思うので、これからもいろんな人たちと長くゆるくつながっていけたらうれしいですね。
1986年神奈川県小田原市生まれ。幼少期から単身でアメリカやドイツへ留学。上智大学でドイツ語を学び、航空会社、国際会議事務局、ドイツ・フライブルクでの通訳/現地コーディネーター、外務省在ドイツ日本大使館勤務などでの仕事を経て2022年から大洲市の地域おこし協力隊員に。現在、農家民宿talの開業準備中。大洲カンパニー農業部農泊課
大洲で活躍するひとへインタビューしました。